前橋地方裁判所 昭和34年(わ)237号 判決 1960年7月13日
被告人 大島英三郎 外二名
主文
被告人大島英三郎を
判示第一の罪(殺人未遂)につき懲役五年に、
判示第二の罪(詐欺)につき懲役六月に、
被告人茂木健司を懲役三年に、
被告人那波蔀を懲役二年に、
それぞれ処する。
被告人大島英三郎(判示第一の本刑に)、同茂木健司に対し、未決勾留日数中各一八〇日を右各本刑に算入する。
被告人那波蔀に対し、この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用中、証人吉井秀男、同吉井とし子、同朴京吾、同坂田渉、同六本木岩吉に支給した分は、被告人大島英三郎の負担とし、証人大和徳二郎、同岡田豊作、同茂木健司、同新井清司、国選弁護人黒沢信夫に支給した分を除くその余の費用は、被告人三名の連帯負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人大島は、本籍地において農業を営んでいたが数年来金融の媒介をしたり昭和三三年五月頃からは肩書住居等で妾と一緒に食堂の経営をしたりしているもの、立石博一は、かつては本籍地において農業に従事したが結核のため入院し、昭和三〇年一〇月退院後は金融の媒介等をして辛うじて生計をたてているもの、被告人茂木は、覚せい剤取締法違反保護事件等のため高等学校を中途退学し父の営む雑貨商の手伝をしたが小遣に窮しているもの、同那波は、かつては農業の手伝等もしたことがあつたが、昭和三〇年二月に普通自動車運転免許証を取得してからは伊勢崎市内等で自動車運転手をしていたが職場を転々し生活に窮しているものであるが
第一 (犯行までの経過)被告人大島は、昭和三三年一月頃ひそかに自己の姪(実兄の遺子)にあたり、遺伝梅毒のため鼻も欠けた大島喜美子(昭和四年一月生、以下、喜美子という。)に一口二〇万円の郵政省簡易生命保険四口をかけ、保険金受取人を一口は喜美子他の三口は自己とし、その後四口共喜美子にあらため、さらに昭和三四年三月四日には右受取人全部を自己の娘よしえに変更したが、その頃から喜美子を殺害して右保険金を取得しようと考え、同被告人に世話になつている立石とも相談してむしろ喜美子を自動車でひき殺し事故死を装い倍額の保険金を取得しようとすら企てるにいたつた。そこで立石は、同月上旬頃自宅に出入している自動車の運転もできる被告人茂木に右計画を打ち明けて「金になるから喜美子を自動車でひき殺して貰いたい。」旨たのんだ。これを聞いた被告人茂木は、これを種に被告人大島らから金を喝取しようと考えて引き受けたものの自動車運転の免許がなかつたのでその頃友人の被告人那波にその情をあかして自動車の運転を頼んだところ、被告人那波も生活に困つていたのでついにこれを引き受けるにいたつた。ところが喜美子をなかなか連れ出すことができなかつたので、被告人大島、同茂木、立石の三名は、同月二八日に被告人茂木が出入していた同市南町の小林某の選挙事務所に集つて、同月三〇日施行の伊勢崎市々会議員選挙の投票に名をかりて喜美子を連れ出し計画を実行しようと相談を遂げ、早速翌二九日に被告人大島、同茂木が選挙運動にかこつけ手土産をもつて喜美子方(同市中町三八七番地)をたずねたが、喜美子がたまたま人影のない近くの麦畑で草取りをしているのを発見し、急に喜美子の静脈内に空気を注射しいわゆる空気栓塞をおこさせてこれを殺害することに計画を変更し、直ちに立石に連絡して二〇cc用注射器一本(昭和三四年領第九四号の二と同型のもの)と五ccアンプル入蒸溜水一本を購入届けさせ、急いで前記麦畑に引きかえしたうえ、被告人大島において喜美子をだまして注射を承諾させ被告人茂木において注射しようとしたところ、折から通行人があつたためやむなく中止し計画を再び自動車でひき殺すことにしてその場を引きあげた。その後喜美子を連れ出せないままに日を送つていたが、同年五月六日になつて喜美子が毎日畑に出ていることがわかつたので、右被告人大島、茂木は、立石方に集り三名で相談した結果、翌七日に右空気注射の方法を実行に移すこととし、その分担は、被告人大島が喜美子の所在を確めて来て被告人茂木らを現場へ案内する、被告人茂木は喜美子に注射し被告人那波がこれを補助する、立石は死亡診断書を入手するなど善後策を構ずることなどを共謀決定し、被告人茂木が即日被告人那波にこの旨を連絡した。
(実行々為)翌七日朝被告人らは、立石方に参集したうえ被告人大島を先発させ、他の被告人二名と立石は伊勢崎市阿弥大寺町九番地山岡四郎方で喜美子の所在を確めて来た被告人大島と落ち合つたが、立石は結果をまつためその場から引きかえし、前記注射器と蒸溜水を持つた被告人茂木と同那波とは被告人大島の案内を受けて同日午前一一時頃喜美子が一人で草取をしている同市柴町那波八八六番地の桑畑につき、被告人大島は事の発覚をおそれて直ちにその場から引きかえした。被告人茂木は、早速用意してきたパンを与えるなど喜美子をだまして注射を承諾させ被告人那波に喜美子の腕を持たせたうえ右注射器で喜美子の両腕の静脈内に一回ずつ蒸溜水五ccとともに空気合計三〇ccないし四〇ccを注射したのであるが、致死量にいたらなかつたため殺害の目的を遂げなかつた。
第二 被告人大島、立石は、吉井秀男がその所有土地四筆を担保にして二〇万円新井こと朴京吾から借りたのを仲介してやつたことにかこつけ、吉井秀男から金員を騙取しようと企て共課のうえ、昭和三二年八月三〇日頃伊勢崎市山王町四六五番地の右吉井方において同人に対し、そのような事実がないのに両名こもごも「新井京吾に頼まれてきたが、同人が山を買うのに金が必要になつたので、さきに貸した二〇万円のうち五万円ほど返して貰いたいそうだ。金を返してくれなければ貸借関係を解約して全部金を返して貰うそうだ。」と嘘をついて同人をその旨誤信させ、よつてその場で同人から現金五万円の交付を受けてこれを騙取した
ものである。
(確定裁判を経た罪)
被告人大島は、昭和三三年七月一六日東京高等裁判所において、風俗営業取締法違反につき罰金一、〇〇〇円に処せられ、右裁判は昭和三四年四月一四日確定し
被告人茂木は、昭和三四年八月一〇日伊勢崎簡易裁判所において賭博罪により罰金二、〇〇〇円に処せられ、右裁判は同年九月八日確定したものである。
(証拠の標目)(略)
(法令の適用)
被告人大島の判示所為中、殺人未遂の点は、刑法第一九九条第二〇三条第六〇条に、第二の詐欺の点は、同法第二四六条第一項第六〇条に、それぞれ該当するところ、殺人未遂の罪については、所定刑中有期懲役刑を選択し、詐欺の罪は前示確定裁判を経た罪と同法第四五条後段の併合罪の関係にあるから同法第五〇条に則り、いまだ裁判を経ない右詐欺の罪につきさらに処断することとし、いずれもその刑期の範囲内において、同被告人に対し、主文掲記の各刑を量定し、
被告人茂木の判示所為は、刑法第一九九条第二〇三条第六〇条に該当するところ、所定刑中有期懲役刑を選択し、右は、前示確定裁判を経た罪と同法第四五条後段の併合罪の関係にあるから同法第五〇条に則り、いまだ裁判を経ない右殺人未遂の罪につきさらに処断することとし、その刑期の範囲内において同被告人に対し、主文掲記の刑を量定し、
被告人那波の判示所為は、刑法第一九九条第二〇三条第六〇条に該当するから、所定刑中有期懲役刑を選択し、犯罪の情状酌むべきものがあるから同法第六六条第七一条第六八条第三号を適用して酌量減軽をした刑期の範囲内において、同被告人に対し、主文掲記の刑を量定し、刑法第二五条を適用して四年間刑の執行を猶予する。
なお被告人大島、同茂木に対し、未決勾留日数の本刑算入につき刑法第二一条、被告人らの訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文第一八二条を各適用する。
(弁護人の主張に対する判断)
被告人大島、同茂木、同那波の各弁護人の主張の要旨は、「人体に空気を注射し、いわゆる空気栓塞により人を死亡させるに必要な空気の量(致死量)は七〇ccないし三〇〇ccであつて、本件のように四〇cc以下の空気を人体に注射した場合においては、死の結果を発生せしめることは絶対に不可能であるから、右被告人らの所為はいわゆる不能犯として無罪である」というのであるが、この点について調べて見るに、医師古畑種基(以下古畑鑑定という)、同中館久平(以下中館鑑定という)作成の各鑑定書の記載を総合して考えると、人をいわゆる空気栓塞死させるに必要な空気の量(致死量)については、いまだ学問上の定説を欠き、弁護人主張のように古畑鑑定にあつては致死量を「七〇cc以上であると考えてよいようだ。」(同書七頁)とし、中館鑑定にあつては「三〇〇cc内外と考える。」(同書九頁)とするのであつて、その間にすでに本件被告人らが大島喜美子に注射した空気の量のほぼ六倍にも相当する二三〇cc内外のひらきがあるけれども、右致死量以下においても人が死亡する可能性があることについては「通常、致死量以下ではヒトは死ぬことはないが、これは絶対的なものではない。被害者の体質、健康状態、注射方法等によつて平均致死量以下の少量で死ぬことはあり得る。」(古畑鑑定一四頁)又は「空気栓塞死の場合には、心臓、肺臓或は脳の機能障害が発現する。したがつて、心臓、肺臓、脳の疾病があるものは、このような疾病がない健康人に対する致死量以下の空気を静脈内に注射することによつて死亡することは容易に考え得られる。」(中館鑑定六頁)と両鑑定は一致してこれを肯定するのであつて、「右両鑑定によれば本件のように注射された空気の量が致死量以下の場合であつても、被注射者の身体的条件その他の事情のいかんによつては死の結果発生の危険が絶対にないとはいえないものであることは明らかである。したがつて、被告人らの判示所為が、いやしくも人を殺害する目的でなされたものである以上、たまたま空気の分量が致死量に達しなかつたからといつて、この一事をもつて、直ちに弁護人らが主張するように本件を不能犯とすることはできない(大審院昭和二、一二、三判決、同昭和一五、一〇、一六判決参照)から、この点に関する右主張は採用の限りではない。」
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 大内弥介 丸山喜佐エ門 原島克己)